2017年03月19日

3/12の教会学校のようす


  礼拝では、「香油注ぎ」と題してお話しを。実際に、ナルドの香油も一人一人に塗ってくれました。

  イエス様は十字架にかかられる過ぎ越しの祭りの前に、ベタニヤ村の姉弟マルタ、マリヤとラザロのもとを訪れます。イエス様への愛と、病気で死んだラザロをよみがえらせていただいた感謝をもって、マリヤは非常に高価なナルドの香油をイエス様の足に注ぎます。花嫁になるために少しずつためておいたものかもしれません。「無駄なこと」と非難したイスカリオテのユダと同様に私たちも考えがちですが、イエス様は「りっぱなこと」とほめます。イエス様への愛と感謝ゆえの献身、また大切なものをささげることをイエス様は喜ばれるのです。

  分級では、ひさびさにジョシュア君とソフィアさんを迎え、アンゲームとお話の分かち合いをしました。(子供7名、大人&スタッフ8名)


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2017年03月12日

3月12日週報から「私が伝えたいこと」マタイの福音書10章26〜30節他

◎先週3/5の礼拝◎
  命が芽吹く春到来の3月最初の主日礼拝。この日は当日に小林武夫兄の車でお見えになった藤崎信先生。いつもながらの笑顔と、優しさに溢れた語り口調でありながら、遺言とも受け止められるその言葉に、一同、緊張の面もちで耳を傾けた。しかし先生は「たとえ外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされている」(2コリント4:16)の御言葉のとおりで、ますます輝きを放ち、力ある宣教をしてくれた。次回は5月7日を予定。
  昼食後には、3月の誕生者である3名を皆とともに祝福した。礼拝55名(子供6名)
  当日の藤崎信牧師の礼拝宣教要旨は、以下の通り。

◎「私が伝えたいこと」(マタイの福音書10章26〜30節、詩篇147篇8〜11節)◎
  十二弟子の中でも、今日はアンデレに注目したいと思います。兄のペテロとは違い、影に隠れていますが、主イエスは、彼にも期待をかけ、訓練し、派遣しました。彼もまた主イエスに従い、歩んでいったのです。
  私が伝えたいことは、まず、「私(藤崎信)は、皆さんを愛しています」ということです。しかし、これは私よりも、主イエスの思い、言葉なのです。主イエスは皆さんのことを愛してくださっています。
  次に伝えたいことは、1.「祈りなさい」、2.「聖書を読みなさい」、3.「伝道しなさい」の3つです。罪は認めて赦しを得、喜びに満たされ、また聖霊の働きによって、完成(神の国)に向かっていることを意識すべきです。これらはすべて自分の力ではなく、主イエスの恵みによるのです。

◎ウォーレン一家がカナダより来日◎
  8日に来日。翌9日に来日したジョナサン・R・ウィルソン教授らとともに、今週は福島、長崎と周ります。お祈りを。来週19日は礼拝をともに。

◎来週3/19の礼拝宣教はジョナサン・R・ウィルソン教授◎
  リージェント神学校の創立者フューストン博士の最初の弟子。キャレイ神学校教授、リージェントの講師も。通訳はウォーレン志保子司祭。
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3/5の教会学校のようす

  礼拝では、竹下力さんが「宮きよめ」と題してお話をしてくれました。

  過越の祭りの時、神殿の前の庭では、神様に捧げるための動物が、いつもより何倍も高いお金で売られていました。しかも、その庭は、外国人も入って、神様にお祈りすることができる場所でした。そのお祈りを妨げていたのです。普段は優しいイエス様も怒り、お店や動物たちを追い払いました。また、これはイエス様が十字架につけられる理由の一つにもなりました。
  私たちが、神様にいつでもお祈りできるのも、イエス様が、道を開いてくださったからです。そのイエス様に感謝の気持ちを持ちながら、お祈りしたいものですね。

  分級では、「手話」「春」「太陽」のお題で川柳を作って、礼拝で発表しました。(子供6名大人&スタッフ8名)

◆今週の聖句
「この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです」
(マルコ14:8)


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2017年03月05日

3月5日週報から「復活の希望」マタイの福音書22章23〜33節

◎先週2/26の礼拝◎
  「三寒四温」、春は近い。秋に植えた球根が次々に芽を出し、やがて花のいのちを謳歌する。礼拝55名(子供6名)
  昼食後、「第21期上半期(2016年8月〜2017年1月)の教会活動状況および会計報告」が行われた。27回の主日礼拝に15回の家庭集会その他イベントが祝福され、会計も“外に献げる”本来の姿に戻ったことを感謝した。
  当日の中村克哉hi-b.a.スタッフの礼拝宣教要旨は、以下の通り。

◎「復活の希望」(マタイの福音書22章23〜33節)◎
  サドカイ人は当時のユダヤ人社会の上流階級に属し、モーセ五書を大切にし、パリサイ人とは違って言い伝えや戒めは重要視していませんでした。人間の論理を尊重し、復活や霊的実在を信じていませんでした。それでイエス様に、復活の誤りを指摘しようと質問を投げかけました。

  イエス様は、サドカイ人に対し「聖書を知らない」と。彼らの信仰はモーセ五書に限られ、「啓示」である聖書全体を学ぶ必要がありました。
  また、「神の力を知らない」とも。「不信仰」ということです。自分の経験してきたことのみに頼ることによって起こります。神様に不可能なことは一つもないと信じることが大事で、復活も神様にはできるのです。

  聖書をどのように読んでいますか?神様第一の生活を神様は望んでおられます。復活を信じていますか? 復活があるから希望があるのです。希望があるから、私たちの生活に喜びや感謝が溢れてくるのです。素晴らしいから宣べ伝えるのです。宣べ伝えずにはいられないのです。

◎来週3/12の礼拝宣教は福澤満雄牧師◎
  1月15日に続いて。今回は、マルコの福音書10章46〜52節より「わたしに何をしてほしいのか?」と題して。

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2/26の教会学校のようす

  礼拝では、南王国ユダの王ヒゼキヤのお話しを。

  ヒゼキヤ王は、神様に堅く信頼し、国から偶像を取り除き、真の神様だけを礼拝するよう民に教えました。ところが、大国アッシリヤが攻め込み、首都エルサレムに迫ってきます。「お前たちの信じる神はお前たちを救い出すことはできない」とあざけるアッシリヤ王の言葉に、ヒゼキヤはひれ伏して神様の力ある御業を祈り求めます。神様は預言者イザヤを通じ、エルサレムの町を救うことを王に告げます。その夜、み使いがアッシリヤの陣営で18万5千人を撃ち殺し、アッシリヤ軍は撤退しました。
  私たちがヒゼキヤのように、弱さや恐れの中で神様により頼むなら、神様は祈りに応えて救い出してくださいます。

  分級では、マシュマロとひなあられを使っておこしを作り、皆さん召し上がっていただきました。(子供6名、大人&スタッフ5名)

◆今週の聖句「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ2:13〜25)

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2017年02月26日

2/19の教会学校のようす

  礼拝では、北王国イスラエルの隣国アラムの将軍、ナアマンのお話しをしてくださいました。

  アラム国で活躍していたナアマン将軍は、重い皮膚病に侵されていましたが、彼に仕えていたイスラエル人の少女の勧めで、預言者エリシャを訪ねます。意気揚々と到着したナアマンに召使いが出てきて、「ヨルダン川で7度体を洗うように」と伝えます。無礼な応対に憤慨するナアマンですが、部下たちにいさめられ、彼はエリシャの言葉通り、立派な服を脱ぎヨルダン川に身を浸します。すると彼の体は清くなり、幼子のようになりました。
  神のことばへのへり下りと従順が、ナアマンを救ったのです。

  分級では、手話講座を。家族を紹介する表現を学びました。(子供8名、大人&スタッフ7名)
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2月26日週報から「下には永遠の腕がある」申命記33章26〜29節

◎先週2/19の礼拝◎
  前週に“春一番”があったのに、北の風きびしい主日の朝、秋山恵一先生ご夫妻が無事に到着。美しいレジュメで宣教を。礼拝61名(子供8名)。
  当日の秋山恵一牧師の礼拝宣教要旨は、以下の通り。

◎「下には永遠の腕がある」(申命記33章26〜29節)◎
  私は、このところ急に老化が進み、文字通り神様に背負われての巡回伝道者であります。今日のみ言葉「とこしえにいます神はあなたの住みかであり、下には永遠の腕がある」(申命記33:27、口語訳)は、私にとっても生涯のお言葉です。たとえ“どん底”まで下っても、その下に神様の「永遠の腕」があるというのです。何という有り難い恵みでしょうか。
  全世界は、この偉大なるお方の腕によって創造され、用いられているのです。神様こそ、あなたがたの住むべき“本当の家”なのです。あなたは、この神様を「永遠の住みか」としていますか?まだしていないなら、すぐに住みかとしてください。「人は神によって造られたのだから、神のふところに憩うまでは本当の安心はない」(アウグスチヌス)

◎今週金曜日(3日)の市川家庭集会(PM7:00)にご参加を!◎
  早矢仕宗伯(はやし・そうはく)牧師(東京武蔵野福音教会)。初めてのご用ですが、2015年・2017年の「フクシマを描く」の芸術家の一人です。

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2017年02月19日

2月19日週報から「ヨブの信仰と十字架」ヨブ記1章13〜22節

◎先週2/12の礼拝◎
  昨年12月4日に続いての滝口洋子牧師。礼拝53名(子供7名)。
  昼食後、「2月誕生者」6名のお祝いをした。滝口洋子牧師が祝福の祈りを。その後、「聖書入門講座」も。
  当日の滝口洋子牧師の礼拝宣教要旨は、以下の通り。

◎「ヨブの信仰と十字架」(ヨブ記1章13〜22節)◎
  昨年12月16日に私の恩師・原登先生が天に召されました。95歳の信仰の生涯でした。小松川の教会へ初めて行った時が、今日の個所でした。
  ヨブ記は、旧約の分類では「文学書」(ヨブ記から雅歌までの5巻)に入りますが、ここにはヨブの様々な試練とともに、すでに主イエスの十字架の受難を見ることができます。ヨブの信仰はどうだったのでしょうか?
  ヨブは、神の前に自らを無として主を礼拝しました。10人の子供と財産をすべて失っても、ヨブは神を神として崇め続けていきました。それに対して「主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された」(42:12)のです。私たちも今、すべてを捨てて私たちの罪を贖ってくださった主イエスに、自分の100%を捧げて従っていきたいものです。

◎「第37回・房総聖会」に今年も参加!◎
  37年間、2月11日に行われてきた超教派の「房総聖会」が、春を思わせる天候の下、「かんぽの宿鴨川」で予定通り開催された。
  今年の講師は、市川家庭集会で長年お世話になってきた横山匡兄の実弟・横山幹雄牧師(となみ野聖書教会)。「世の光として輝くため」の主題の下、午前の聖会1・午後の聖会2共に実体験をふんだんに入れた、示唆に富む素晴らしい説教であった。当教会参加者は14名。

タグ:ヨブ記
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2/12の教会学校のようす

 礼拝では、イスラエルの預言者エリヤのお話を。

  イスラエルの王アハブと民が、偶像バアルを拝み背信の道を歩んでいたため、イスラエルには長い間雨が降りませんでした。3年目に預言者エリヤはアハブ王に会い、カルメル山でバアルの預言者と対決します。450人のバアルの預言者が一日中祈り、踊り、大騒ぎしましたが何も起こりません。しかしエリヤが神様に祈ると、天からの火が下り、祭壇まで焼き尽くしてしまいました。それを見た民は「主こそ神です」と悔い改めます。この方こそ真の神様、そして私たちの祈りを聞かれる方です。

  分級では、バレンタインデーにちなんで、神様の愛を表すハート形のクッキーを作りました。(子供7名、大人&スタッフ5名)

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2017年02月12日

2月12日週報から「心を見てくださる神」サムエル記第一16章1〜13節

◎先週2/5の礼拝◎
  カナダより来日し、1月22日の礼拝に初参加したネイト兄が、日本各地を鉄道で旅して回った後、再び市川に戻ってきた。2月6日には帰国の途に。彼の将来のためにも、ぜひお祈りを。礼拝出席者57名(子供9名)。
  礼拝では竹下力伝道師が、昨年9月25日以来となる宣教を。竹下静姉も韓国のワーシップソングと、宣教の内容に合わせて、詩篇8篇から作ったオリジナル曲「ただあなたの愛の中で」をもって特別賛美をした。
  当日の竹下力伝道師の礼拝宣教要旨は、以下の通り。

◎「心を見てくださる神」(サムエル記第一16章1〜13節)◎
  サムエルが、エッサイの息子の中から次の王を見極める際、神は「人はうわべを見るが、主は心を見る」と告げ、末の子のダビデを示された。しかしダビデの生涯を見たときに、「正しい」とは言い難いものがある。
  神は、いい面も悪い面も含めて、人の心を見ておられる。その神の前で、ダビデも自分の罪を隠すことなく素直に認めた。そして自分が王となったのは、自分の力ではなく、この自分を守り、導く神の恵みであることを理解したのだ。恵みを恵みとして本当に理解するのは、頭ではなく、心である。ダビデは神の恵みの幸いや喜びを、多くの詩に表した。
  私たちも、罪を隠すのでも自己否定するのでもなく、神の前に打ち明け、赦しと恵みを受けつつ、神が導いてくださる道を歩んでいこう。

◎今年もスタート!2月3日(金)の市川家庭集会報告◎
  守部喜雅先生(元「百万人の福音」編集長)が「天皇とキリスト教」と題して。その話に、一同が聞き入った。ザビエルが願って叶わなかった天皇謁見。しかし時を超え、戦後の天皇家で聖書研究会が開かれたのだ。出席31名。


タグ:サムエル記
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