2017年08月13日

8月13日週報から「涙を流された主イエス」ヨハネの福音書11章28〜44節

◎先週8/6の礼拝◎
  72年前のこの日は、広島に原爆が投下された日。礼拝の準備祈祷会から、平和への祈りが捧げられた。世界では戦争や、それに伴う「涙」も絶えないが、「平和をつくる者」(マタイ5:9)でありたい。
  礼拝には、Sファミリーも出席、ともに「神の家族」の交わりを喜んだ。
  昼食後には「8月誕生者のお祝い」を。出席していた誕生者7名を皆で祝い、滝口洋子牧師が祝福のお祈りを。その後、先生は「聖書入門講座」も開いてくれた。礼拝出席計50名(子供5名)
  当日の滝口洋子牧師の礼拝宣教要旨は、以下の通り。

◎「涙を流された主イエス」(ヨハネの福音書11章28〜44節)◎
  この世での生涯では、様々な「涙」が伴うものです。イエス様が具体的に「涙を流された」と記すのはこの個所だけですが、他でもイエス様は涙を流して祈り(ヘブル5:7)、私たちの涙も受け止めてくださっています。
  私たちが「救われている」ということは、神が責任をもっていてくださるということです。イエス様が死にも打ち勝つ力をもって打破してくださいます。ラザロがよみがえらされたのは、主の十字架と復活の確かさを証詞するためと言えます。やがてラザロは、もう一度、死を迎えることにもなりますが、確信をもって天へと召されていったことでしょう。
  私たちも現実に起きる死や悲しみを前に、打ちひしがれてしまいそうになることがあります。しかし、イエス様はともにいて、「信じるか」と問いかけてくださるのです。信じて、証詞するものになりましょう。

◎来週8/20の礼拝宣教は福澤満雄牧師◎
  6月4日、7月9日に続いてのご用。ヨハネの福音書2章1〜11節より「あなたがいてくれてよかった!」と題して。福澤先生、今年は最後となります。

posted by seibou at 23:59| 週報より (日曜礼拝 10:30〜) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

8/6の教会学校のようす

  礼拝では、竹下力さんが、神様がユダの人々を立ち返らせるために、エレミヤに神のことばを書き記すよう命じ、書記のパルクが巻物に記したお話をしてくれました。巻物にある神のことばを聞いた王様は、悔い改めるどころか切って、燃やしてしまいました。しかし、聖書のことばは、消えてなくならず、無効になることはありません。(エレミヤ36章)

  私たちも、聖書を読む時に自分には「これはできない」と諦めて読むのをやめてしまったら、王様と同じになります。完璧に聖書のことば通りに実行できる人はいません。できないこと、足りないことを主に謝り、赦してくれている主の愛に目を向け、神様、自分、隣人を愛していけるよう目指していきたいです。

  分級では、「プール」「海」「夏休み」のお題を受け川柳を作り、発表しました。(子供5名、大人&スタッフ9名)

◆今週の聖句
「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである」
(ヨハネ20:31)

posted by seibou at 23:59| 教会学校 (日曜 9:30〜) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月06日

8月6日週報から(主の恵みを語る 第56回目)

◎先週7/30の礼拝◎
  前日の土曜には教会学校の1日キャンプが行われ、子供たち10名が楽しい時を過ごした。教会での良き思い出の一つとなりますように。
  日曜の礼拝は、証詞礼拝(主の恵みを語る)第56回目。7月24日〜28日まで台湾に出かけ、「東アジア・被造物保護会議(クリエイション・ケア・カンファレンス)」に参加しT姉と、仕事や病気で困難もありながら新たな道に取り組むI兄が、主の導きと恵みを以下のように語った。礼拝53名(子供5名)

◎「すべては神様がなしてくださったこと」(T姉)◎
  2014年、カナダの宣教師の方から「主の恵みだけが残る人生」というお証を聞いた時以来、そのような人生を歩みたいと思わされていました。
  最初に被造物保護会議へのお誘いを受けた時には、無い無い尽くし。英語もできず、飛行機に乗ることも不安でした。しかし祈りの中で「わたしについてきなさい」と聞こえ、一つ一つが整えられていきました。
  思えば2年半前、土に関して興味を持ち始めた時から、神様の導きだったと思います。神様の被造物の一員である恵みを感じられて感謝です。

◎「健常者と障害者の『壁』を壊したい」(I兄)◎
  警備の仕事で車イスのお客様と接する機会があり、やがてスポーツを通じて健常者と障害者の「壁」を壊せないかと考えるようになりました。
  そんな折、いただいた「しおり」を通して、ローマ書15章1〜2節の聖句に触れました。確信はなかったのですが、不思議と道が開かれ、「壁」にも当たるのですが、「力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです」(1節)と頭に浮かび、関係各所へ交渉し続けています。
  障害者は、私にとって「光」です。さらに世の「光」となりますように。

posted by seibou at 23:59| 週報より (日曜礼拝 10:30〜) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

7/30の教会学校のようす

  礼拝では、取税人ザアカイのお話しをしてくださいました。(ルカ19:1〜10)

  ザアカイは、ローマ帝国のために税金を取り立て、私腹を肥やすことで悪評高かった取税人の頭でした。彼は金持ちでしたが、心に飢え渇きや疎外感があったかもしれません。
  イエス様がエリコに来られた時、背の低いザアカイはイエス様を一目見ようとイチジク桑の木に登ります。イエス様はザアカイを名指しで呼ばれ、ともに過ごされました。ザアカイは奪う者から与える者、人の前にへりくだる者へと変えられました。
  イエス様は私たちの心を知り、招き、変えてくださいます。

  分級では、絵の具とクレヨンで絵手紙を書きました。(子供5名、大人&スタッフ9名)

◆今週の聖句
「人はみな草のようで、その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることない」
(1ペテロ1:24〜25)

posted by seibou at 23:59| 教会学校 (日曜 9:30〜) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする